異文化での判断のプロセスについて

典型的な日本企業と典型的なヨーロッパの会社を比べると様々な違いが見えてくるが、その中で判断の仕方、判断が下されるまでのプロセス、詳しくは仕事を実行する上でのガイドラインとなる原則、考え方、ルールなどは大きく異なるに違いない。日本人であろうが、ヨーロッパの人であろうが異文化の中で勤め始める管理職者はこの違いにすぐ気がつくはずである。

一般的には日本の判断プロセスはヨーロッパのそれよりも随分長い時間がかかるとよく言われる。協議に関わる人を徐々に増やし、関係者は判断が求められる課題を順番に取り上げ、色んなレベルで議論を始めるのは共通点だと思われるが、判断が下されるまでのプロセスは根本的に異なる。

日本人は判断を嫌うとよく言われるが、日本企業には最初から判断を完全に一人のマネージャー、ダイレクターに任せる文化はない。判断のプロセスを重要視する日本の社会には最初から「一人判断」に委ねる環境はないのである。 労働環境の中では、和を守るのが最も高い価値の一つと見なされることもあり、多くの関係者の意見を聞き、それぞれの意見を一つの方向に取り纏めるのは決して簡単なことではない。判断の準備プロセスとも言える「根回し」、数多く開かれる会議、話し合いの流れの中に醸し出される無限の妥協は部分的にヨーロッパのやり方にも似ているという風に思わせるが、その背景を知るとカルチャーショックを受ける程の違いに頭を悩ますことになる。

その背景には、組織の考え方の違いから、管理職者の位置づけまで、周りの世界で同じようなポジションに付いている人たちに対する標準的の対処まで色々な因子が働いているのである。会社の組織は、ヨーロッパの企業と比較すると日本企業の方がヒエラルヒーは強いと一般的に言えるが、私は特にハンガリーの企業文化がその反対が事実ではないかと思う時がある。日本企業は確かに階層がハンガリーに比べて沢山あり、ポジションの数も極めて多いが、日本の組織の中で実際に働いて見みると、組織は表面的な作りの一種で会社の機能を反映させるが、会社の頭ではなく、その顔に過ぎないという感じがする。それに対しハンガリーの企業は階層の数が少なくても、管理職者が本当の意味でのパワーを委譲され、その力で物事が回っていくことが強く響いてくる。アシスタントマネージャー、マネージャー、トップのメンバーは、みんなそれぞれ重大な責任を課せられるが、その代わり判断の権限、お金を使う権限などといった面では大きな自由を与えられているのが一般的なやり方である。これらの権限は書面上のものに過ぎないのではなく、実際の権限として見なされ、判断の中身を問われることはすくない。

従って、「一人判断が多く」、管理職者がそれにはよい意味でも(判断する力が強く、判断が早い)、悪い意味でも(周りの意見を聞かない勝手な動き、個人の為を基本にする判断等)慣れているのである。言うまでもないが、そういう会社で社会化してきたマネージ、その下の層の人たちにも一人判断を認め、妥協を日本企業ほど求めたりしないのは事実である。判断は殆どの場合は時間を要しないか、極めて短い時間でできてしまう。正直な気持ちその判断の内容に全く賛成できない人も多くいるであろうし、その反撃の声は後ろで長く響くこともあるが、表面的にはポジション、上下が何よりも重視され、物事は自分が思ったように進まない、方向はいつも上から決められるのが自然に思う人事が普通である。(例えば改善という考え方を普及させるのは困難であることの背景にもこのような事情が隠れているのである)又和を守る事にあまり価値観を持たず、喧嘩をしてでも会社を動かしていくことが重要視され、2人以上の人が話しをつけ、判断をしなければならない場合は、大声で叫んだり、怒ったりすることも珍しくない。このような組織の考え方を強調し、見える化するのはマネージャーの大きなプライベート事務所であったり、マネージャー専用秘書であったりする。日本と異なりマネージャーの勤務時間は他の人よりも短いことである。(企業により、マネージャー以上の人は毎日職場で姿を現すことがなく、週に20時間程度の仕事をし、帰ることもある)。

管理職のポジションもよく考えてみると個人主義そのものの現象である。 個人主義の中で会社を経営しようと思うと、判断をすることがあるポジションに一番優秀な人を付けることが重要な課題になる、というようなサークルをぐるぐる廻っているような感じはしませんか。

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知っておくべきハンガリー労働法の2つの原則。

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